2003年11月5日水曜日 アサヒビールチャレンジ第22回アジア野球選手権2003

中華人民共和国中華人民共和国中華人民共和国大日本帝国
札幌ドーム 18:33 有料入場者数;14,800人 観戦場所;ライト外野指定席
日本
0
4
0
0
0
0
4
0
5
13
 
中華人民共和国
0
0
0
0
0
0
1
0
0
1
    
勝利投手
上原コウジ 1勝
敗戦投手
(背番号80) 1敗

審判員・記録員
本塁打
球審
Nelson Diaz(CUB)
江暁宇1号打点1・投手:上原=七回
一塁
Sim Tae-Seuk(KOR)
二塁
Huang Fan Ching(黄繁忠/TPE)
三塁
Liao Wen Ching(廖文靖/TPE)
左翼
Hwang Suk-Man(KOR)
右翼
Norio Saito(JPN)

上原、カットボールを巧みに使い中国を手玉に
繋ぎの野球を心がけた打線も光

 日本は2回表、福留の適時打で先制、さらにニ岡の中前打、宮本の2点二塁打で計4点を挙げた。7回にも高橋の2点二塁打や和田一の内野安打などで4点追加し、先発登板の上原を援護。9回にもニ岡、松井の長打などで大量5点のビッグイニングとした。
 第1試合は台湾が韓国に延長10回、5―4でサヨナラ勝ちした。

■2003年11月4日火曜日
 遠征はいつも前乗り…と書くのも久しぶりのような気がする。いつ依頼かと思いさかのぼってみると8月中旬の日本ハム対大阪近鉄@札幌ドームから前乗り遠征は無いことになるから久しぶりと思うのも無理はない。
 前日発表の小久保裕紀内野手の福岡ダイエー→讀賣という超無策な無償トレードの余波は続いていて、未だに本当のことなのかが考えにくい状態。まぁ小久保自身は選手会長時代から知らなくても良いダイエー内部の裏事情を知り「こりゃ野球のプレー以外でも頭を抱えなきゃならんかもな」と悟ってから、チームを出て行くことを考えていたことがわかると今回の「環境を変えたい」の言葉尻も少しは納得が出来るもの。しかし少々納得がいかない部分もある。「小久保ほどの人間」と呼ばれるほどに人望が厚い人間が、どうして自分一人の辛さでチームを出る決意をしたのか?チームが辛いのは全員一緒のはず。松中信彦が「ふざけるな」とチームに対して激怒したのは「辛いのは小久保サンだけじゃない」ってのが言いたかったんじゃないかなぁ。共に痛みを分かち合ってきた仲間が抜けるのは髪の毛が抜けることよりも辛いことだろう。
 しかしここで考えること…行先が讀賣だけってのが解せない。要するに小久保が問題にしているのは金銭面ではなくプレーするチーム。同選手は「ダイエーでなければどこでも良かった」わけで、なにも行先を限定していたわけではない。小久保の年俸を下げて他球団が出せる額(野球協約で定められている減俸限度ぎりぎりまで落としても1億にはなる)に持っていき、更に今回無償放出になった要因といえる「移籍金は小久保に付けてやってくれ」で本来ダイエー球団に入るはずの1億円近い移籍金を小久保に払えばこれで2億円になり御の字のはず。1億円の出費なら讀賣以外のチームも出して出せない金額ではないと考える。ルール的には問題がなくても讀賣球団が他球団の主軸を集めて批判を買っていることは周知の事実。あえてその讀賣に放出したのが解せない。
 

 ここで更に問題があるとすれば…ダイエー球団のオーナー・中内正氏の人脈。彼が10月31日に開催されたオーナー会議で普通に声をかけて雑談を交わすことが出来るのは実は、讀賣のオーナー・ナベツネしだけらしい。その他の球団のオーナーと話をするとすれば会議でのやり取り程度。となればオーナー会議で選手を売り込むタイミングを逸してしまうと声をかけられるのはジャイアンツだけとなる。中内オーナーに並外れの社交能力があれば…ナンパ師もびっくりするような巧みな話術で初対面の人とも普通に接することが出来れば小久保の移籍先がジャイアンツという最悪の事態は免れたのかも知れない。ジャイアンツは人気こそあれど、嫌われ度はその人気をはるかに上回っている。個人的には小久保選手が三振や凡打・失策をしているシーンを見て手を叩いて喜ぶ気にはなれない。だからこそ移籍先は…これ以上言うのは止しときましょう。移籍がご破算になることを祈りながら火曜日の勤務をこなす。
 終業時刻を向かえすぐに持ってきた洋服に着替えて羽田空港へ。
 当初20時15分発のJAL便に搭乗予定であったが、空港に到着して自動チェックイン機に航空券を通すと19時30分発の便に空席があることが表示される。時刻は19時12分、こりゃすぐに便変更を行い手続きを終える。搭乗口は80番とあった。バス乗り場だ。
 19時19分に80番搭乗口で改札機をくぐると超満員のランプバスが。出入り口のステップに片足を立ててどうにか乗車。バスは全日空のエリアを越えてとんでもない方向へ進む。JASのトーイングカーに先を阻まれて思い通りの速度が出せない。といっても空港敷地内は30キロ以上は出せないのだが…。
 急遽の便変更だったために仕様機材を把握していなかったので気になっていたが、駐機中の機材は旧JAL色のBoeing767−300だった。機内にはまだ半分以下の乗客しか居らず、搭乗手続きをしていたときに見たシートマップを見るとほとんどの座席が埋まっていたので拍子抜け。しかし続いてやってきたバスに乗ったと思われる乗客が乗り込んできてようやく機内が活気付く。しかし私の指定されている13番Aの隣の席は空席のまま。話によると当初車椅子のお客さんが来る予定で空けておいた席が急遽乗らなくなったそうだ。
 いつも思うのだが、JAL便だけかもしれないが、乗客を迎え入れる前の飛行機の座席の上にはどうして空気式のヘッドホンが置かれているのだろう。その上、シートベルトが片仮名の「ハ」の字形に置かれている。これは無造作に置いたものではなくマニュアルでこうなっているのだろう。これから座ろうとしている座席になぜこのような「障害物」を置くのだろうと子一時間問い詰めたくなる。
 というものの東京から札幌までは実質飛行機しか移動手段に選択肢はなく利用せざるを得ないのですが(笑)。
 
 21時、札幌千歳空港に到着しみどりの窓口で列車の切符を購入。札幌地方の気温は飛行機内での報告によると0度ちょうど。東京のそれと比べると実に14度ほどの差がある極寒ぶり。雪こそないもののここで雨が降ろうものならいつ小雪になってもおかしくない気温だ。明日もナイターなので試合終了後、札幌ドームを出たときに体感する寒さは相当なものと想像する。恐らくは5月に札幌で開催された西武対福岡ダイエー戦が行われた後よりも寒いんだろうなぁ。
 目的の試合前日に札幌に入ったのには理由がある。いつものようにホテルでゆっくり…ということは今回はしない。今晩は稚内行き特急利尻に乗って音威子府を目指す。飛行機を1便早めたお陰で札幌駅で余裕を持って指定券の購入及び夜食の購入が出来る。駅のみどりの窓口にはファイターズのファイティ君に代わる新しいキャラクターの愛称を募集する応募箱が設置されていた。その札幌駅だが構内の至る所にある電源コンセントの脇に「無断利用厳禁」のラベルが貼られている。そんなもの無視して使ってしまえば…と言いたい所だがさすがに悪い気がして使う気になれない。
 しかし、21時50分頃にやってきた稚内行き利尻号の車内を見て驚いた。普通席の脇にはヒーター用のコンセントが用意されているのは知っていた。しかしこれはあくまでヒーター用の準備工事で使うことが出来なかった。でもダメもとで試しに携帯電話の充電器を差し込んでみると…使えるではないか!!!これはありがたく使わせてもらう。2号車(キハ182−501)だけの話かも知れないがこんな幸運は大切にしないと。

 この列車で私は音威子府(おといねっぷ)で降りるのだが、その音威子府の到着は早朝の3時42分。日付が変わる前に寝ることにする。23時48分、列車は美唄に到着するちょっと前のことだった。



■2003年11月5日水曜日
 心配性の私は深夜の途中駅で降車することが出来るかで頭がいっぱいになり眠るに眠れなかった。列車が旭川で20分停車を終えて出発し、新旭川駅で運転停車。気付いたら立派な車両基地が完成していた。それを確認したからではないがようやく眠りに就いた。
 名寄で一瞬目が覚めたがそのまま眠りに戻る。目的降車駅である音威子府の一駅手前の美深で目が覚める。ここで寝てしまうと再び起きるのが難儀だと考え無理やり身体を起こして着座姿勢になる。周囲の手荷物をまとめて身支度を済ませて到着の時刻を待つ。車内の放送に促されて扉に向かう。2番線に到着した列車は定刻の午前3時42分に音威子府駅に到着。ここで3分の時間調整を行う。ドアを扱う車掌さんが「このあとど〜するの?」と声をかけてくれる。「3時間、駅で時間を潰して名寄行き普通で臨時駅の智東に行くんです」と話すと「この辺はまだ熊が出るからねぇ」と面白い話をしてくれた。「この間なんかスーパー宗谷4号に熊が立ちはだかり佐久駅で音威子府からの保線要員と猟友会の人を待ったりでで80分も抑止(運転不能状態)が続いたんだよ」とのこと。このあたりはまだ線路付近に鹿だの熊だのが生息しているとは、、、北の大地、恐るべし。
 駅の待合室は深夜だけど夜行列車の利用者向けに開放されている。木造新築でとても綺麗な待合室のカーペット敷きの上でパソコンを触りながら時間を潰す。駅の外に出ても風が強く寒いだけだし、コンビニの類も見当たらないのでじっとしていることにすると、午前5時に中年の女性が駅にやってきた。稚内・名寄方面ともに列車までは時間がかなりあるのに…と思いきや、この方は地元の方で駅のトイレの清掃を担当している方なのだそうだ。およそ30分、トイレの清掃を行い5時半に再び帰っていった。
 6時ちょっとすぎ、夜が空けてきた音威子府駅に列車が入線。私はてっきり音威子府駅構内に車両を夜間停泊させてあるのかと思っていたが、6時29分発の稚内行きと36分発の旭川行きの車両をいっぺんに回送で名寄から音威子府へ送り込みし、当駅で分割させるという。ひょっとして冬季だけの限定措置かも知れないが。
 で、やってきた車両が通常塗装のキハ40だけかと思いきや、朱色のぽっぽや塗装だったのにさらに驚く。
 音威子府からは名寄への通学生がたくさん乗り込んできた。私はこの後、11月から3月までの間列車が停車しないという臨時駅の智東で降車する。
 臨時駅なくらいなので智東駅の周辺には人家は全く無い。降りる人も極めて稀なようで、危なく扉を閉められて降車ででないところであった。貨車を改造した駅舎内にはインターネットからプリントアウトされた周辺地図が掲示されている。なかなかきれいに清掃されている。このまま次の列車を待とうにも、数時間待たないと次の停車列車がやって来ないことから、距離を比較して近い方の隣の駅まで徒歩移動することに。比較すると稚内方の北星駅は直線距離こそ近いものの、徒歩ルートだととんでもない距離を歩かされることになるので、名寄方の日進駅に向けて歩くことにした。頭上からは小雨が落ちてきている。 
射撃場
 天塩川に沿って道が続いているが、途中に冬季は通行できない旨の看板が掲示されている。この看板こそが智東駅が臨時駅である理由とも言える。
 歩いているうちに名寄方面から選挙街頭演説の声がなんとなく聞こえてくる。FOMAも通話圏内に入り情報が入ってくる。稚内方面息の列車とすれ違いながら日進駅に向けてさらに歩を進める。坂などは無いものの、日進駅から名寄に向かう列車に乗るまでに与えられている時間が1時間しかないことから少々あせりながらの行程。しかし無常にも時間は過ぎ、僅かに上り坂になっている場所から射撃場の付近を早足で歩いている途中に乗車予定列車に抜かれてしまう。5分後、板張りで頼りない日進駅に到着。離れのような場所にある待合室で次の名寄行き列車を待つ。
冬季通行止め
日進駅

 
 
 
神風特攻隊
日本
松井か
宮本し
小笠原
城島
高橋由
福留
和田一
二岡
上原
守備
6
5
3
2
9
7
8
DH
4
P
8
4
DH
9
5
2
7
3
6
中国
孫嶺峰
劉建忠
楊國剛
江暁宇
孫ウェイ
王偉
李清華
陳哲
張王峰
文化大革命

 
 
 
 
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